ここはかつて、宮村という土地だった。「地域とともに」という法人のポリシーはいまもこのエリアを基軸にとらえられている。この地に育まれ、命をつないできたから。ほかの場所では考えられない……。

現在13事業所をかまえる『宮共生会』は、ここから始まった。一面にわらびが生い茂る土地を開拓し、できたのが「チームわらびの里」。

障害があってもなくても、それぞれのペースを大切に、家族のように……。ここは「働く」ことを通して、「豊かさ」について思いをめぐらすことができる場所だ。

黄金に輝く稲穂と青々と茂った畑から「こんにちはー!」と元気な声が聞こえてきた。お米と多品目の野菜を生産している「チームわらびの里」と「チームまるしぇ」のメンバーだ。

その日に採れた野菜を袋詰めし、市場で販売する作業をしているメンバーに手をとめてもらいパチリ。収穫した新鮮なお米や野菜は一部、佐世保市内で広く販売しているお弁当にも使用されている。

※チームわらびの里……就労継続支援B型事業所
※チームまるしぇ……生活介護事業所

目次

    佐世保のこと・ば・ひと

    周辺の島々(九十九島)を眺めることのできる公園・展海峰(てんかいほう)。見るべきは海だけではありません。見渡すかぎりのコスモス……!その広さ、約7000平方メートル。「チームわらびの里」のメンバーがお花の管理をしているんだそう。

    「今年もきれいに咲いてますね。ありがとう」

    取材の道すがらに出会ったご近所さんから声がかかりました。地元のひとたちは、『宮共生会』のメンバーの丹精を知っているのです。

    明治時代に海軍基地が置かれたことから、「軍港の町」としても広く知られる佐世保。すこし海側へクルマを走らせると、軍艦が目に飛び込んでくる。ほかの街では見られない港の風景。

    「チームみらいと」での一コマ。名刺作りやパンフレット作製、はがきデザインなどの創作、こまかい作業をしながら、楽しく過ごすことのできる場所です。ここでも合言葉は「マイペースが一番!」

    ※チームみらいと……生活介護事業所

    「チームごちゃまぜきっず」では、到着したばかりの子どもたちがカメラに向かってこの表情!次々とポーズを変える彼らの勢いにノセられて、次のスケジュールのことを忘れてシャッターを押しまくったカメラマンがいました。

    ※チームごちゃまぜきっず……放課後等デイサービス

    日本で唯一のアメリカ海軍の母港にもなっている佐世保。なにげなく入った公園で、「あちら側はアメリカだよ」と言われてびっくり!アメリカ海軍が管理する運動公園「ニミッツパーク」。パスポート持ってないし……とどきまぎしていると、散歩するのに入ってもOKと中から出てきたひとが教えてくれました。日本にいながらにして……なんとも不思議なアメリカ体験!

    佐世保の衣・食・住・遊

    佐世保市にある『宮共生会』とまちを取り巻く「衣」「食」「住」、そして「遊」。今回はどんな出会いがあるのでしょうか?レッツゴー!

    縦糸と横糸をじっくり織りこむ。マイペースの極み「チームしおさい」

    感性にしたがって、自由に糸を織り込む「さをり織り」をしているのは、「チームしおさい」。2階がアトリエとなっていて、紙を細かく切って梱包材にしたり、長崎の焼き物・波佐見焼のでっぱりを取る「バリ取り」と呼ばれる作業をしたり。下の階からは、カラオケのご機嫌な歌声が聴こえてきて……!?

    聞けば、これまでの施設の制度(仕事だけをする)に出てくるなか、もっと自由に過ごせる場所を!とあとから造った場所。

    どこまでもメンバーさんの個々のペースや、くつろげる居場所を追求する『宮共生会』。みなさん、満面の笑顔で迎えてくれました!

    ※チームしおさい……生活介護・共生型通所介護事業所

    佐世保が大好きだから。ラーメンに向き合う

    ここ佐世保から、全国に向け展開する人気ラーメン店がある。「ラーメン砦」。代表の川尻龍二さんは、あらゆる角度からラーメンを研究し、新しい味を生み出し続けています。なかでも、佐世保の特産品・赤マテ貝を使った貝白湯(かいぱいたん)スープはこれまでのラーメンの常識を覆す美味しさです。

    「佐世保だけで流通する貝で、ツキ漁という独自の方法で捕るのが赤マテ貝です。カラスがつついて食べるような貝だったんです。僕は、誰からも見向きもされないようなものにスポットを当てたくなる質(たち)。赤マテ貝の価値を高めていきたかった。試作をくり返してできたのが、豚骨・鶏ガラを一切使わない貝白湯スープです」

    20歳でラーメンづくりを始め、全国で16店舗を展開する川尻さん。現在はラーメンのプロデュース業とともに「ラーメン砦 研究所」にて、日々新たな創作ラーメンを生み出しつづけています。

    「実は、ラーメンよりもカレーが好きなんです……。だけど、ラーメンを作り始めると楽しくなるんですよね。味に答えがないから、何を出してもいい。自由にやれるっていうのが自分に合ってると思います」

    九州のラーメンと言えば、豚骨。これよりもカロリー半分で、味は……、さっぱりでもあり、こってりでもあるという不思議な魅力を持っています。スープまで全部いける貝白湯。また、ご自身が好きだという黒カツカレーも合わせて、ぺろりと平らげてしまいました(カレーも絶品)。

    ※ラーメン写真は、波佐見店で提供しているメニュー「貝豚湯スープ」。赤マテ貝のスープをベースに、豚スープでコクを出している。

    コーヒーとチョコレートさえあれば……!

    「チーム坊主珈琲」には2つの名物あり。焙煎から行っているコーヒーと多様なひとたちによる働き方を全国に展開する「久遠チョコレート」です(テイクアウトもOK!)。ガラスばりの厨房からは、チョコレートの製造過程をのぞくこともできます。

    店名の由来は、理事長が坊主頭だから……?由来はさておき、「あのコーヒーとチョコレートのところね」と、地元のひとたちから愛されているカフェ。路面に出ているカウンターにはお客さんが続々とやってきます。

    「地域とともに」という『宮共生会』のミッションはここでも実現しています。

    焙煎所があるカフェはめずらしく、ブレンドコーヒーの豆だけを買いに来るお客さんも少なくないのだとか。

    それもそのはず。メンバーさんがこの焙煎の研究を重ねて、今日のブレンドコーヒーがあるのです。

    「美味しいと言われた配分を残しています。ブラジルコーヒーをメインに、キリマンジャロ、モカ、コロンビアなど3・4種類のブレンドをしています」と見せてくれた手書きのメモには、豆の比率の記録がびっしり!しかも、毎日その配分をちょっとずつ変えているとのこと。

    注文を受けてから一杯ずつ抽出するコーヒーにも、こだわりが。

    「すぐに出せるように挽き目を変えています。すこし粗めになるように。アイスコーヒーは、氷を入れる分深入りで焙煎しています」

    うーん。奥が深いぞ、焙煎の世界……!

    ※チーム坊主珈琲……就労継続支援A型・就労継続支援B型事業所

    なんと言っても「釣り」!

    佐世保には“釣りキチ”が多いと思う(筆者、個人的な感覚)。

    「長崎にまで来て、釣りをしないなんて……!」という釣り好きに連れられて、いつのまにか船の上にいました(早朝出発)。

    波に揺られて、朝日にキラキラと光る水面を見ていたら、大概のことは許せるんじゃないかという気がしてくる。たとえ魚が釣れなくっても……。

    釣れても釣れなくても、あとには美味しい思いが待っているはず。

    遊びもこうゴージャスにいかなくては!

    釣れた魚たちをさばいてもらって、もちろん「いっただきまーす」の図です。

    佐世保市 宮共生会

    ひとつひとつの「チーム」が発揮できる

    『宮共生会』はそれぞれの事業所ごとに「チーム」という冠をつけて呼んでいる。

    「チームにも、チームの外にも仲間はいるよ、困ったらいつでも言ってね」という意味が含まれている。

    たくさん事業があっても、それそれの管理者やマネージャーが孤軍奮闘することなく、横のつながりを使って困りごとを共有できる仕組みがある。

    ――働く仲間は「家族」のように、がここにも。

    COLUMN1 尾崎亮三さんインタビュー

    『宮共生会』の立ち上げ当初からスタッフとして関わり、農業の知恵やこの地の歴史を伝え続けているひとがいる。勉強熱心で、取得した資格は数知れず!証明書を重ねると10センチほどの束になるんだとか……!?尾崎亮三さんに、お話を聞きました。

    いまは、ニンニク栽培の準備をしています。土にマルチと呼ばれるビニールをかぶせる作業をしているところですね。

    わたしは、宮地区の生まれです。代々の土地です。このあたりは、みかん栽培が盛んでね。「味っ子」とか「味まる」というブランド名で、市場取引単価が日本一を取るほどの品質のいい西海みかんが採れるんです。中学時代、勉強は半分で、よく農作業を手伝っていました。

    サラリーマンとして大阪に勤めていたんですが、佐世保工場に勤務になってからは、合間に農業もして。そうしてどんどん農作業が好きになっていましたね。資格は一級ボイラー技士や熱管理士、電気関係など、仕事で必要があって取りはじめたんですよ。いやあ、たいしたことないです。

    ここら一帯は、あぜ道だったんですよ。高低差があるので、クルマで上がるのが難しいほどだった。20代の頃に、「お前やれ」ちゅうことで道路整備の申請をしたんです。計測して図面を書いて、行政に提出しました。え?伊能忠敬みたい?あはは、規模は小さいけれども。それで、いまのようなコンクリート道になりました。当時は農業の転換期で、大型重機も使うようになってきていたから。そこから集落のひとたちと一緒になって、コスモスを植えたり、畑の整備をしたりと景観を守る活動をしています。

    いまは『宮共生会』の職員として、障害のある方々と一緒に畑作業をしています。最初はおぼつかなくても、ここで作業を続けることで、足腰も強くなるし、段取りがわかって先回りして準備してくれるようになるひともいます。こういう進歩を目の前にすると、関わってよかったなと思いますね。

    74歳、まだまだ元気です!これからも跡継ぎがいない農地を活用して、「援農」をしていけたらいいなと思っています。

    COLUMN2 現場スタッフ・櫻木梓さんの声

    「坊主珈琲」でお弁当販売の取りまとめやギフト注文を受けたり、店頭で接客をする櫻木梓さん(現在は育休中)。『宮共生会』での働きや海外での仕事を通じて、「自分の人生を自分で生きること」をつらぬいています。現在、3人のママとなった櫻木さんに聞きました。

    佐世保出身です。もともと海外に興味があって。青年海外協力隊(JICA)に応募して、南米の国・エクアドルに行きました。向こうの障害児施設の教員に向けたアドバイスが任務でした。音楽やパソコンの使い方を教えたり。2年で戻ってきて、日本でも子どもの施設で働きたいと、宮共生会にカムバックしました(JICAに行く前活動していた)。当時は障害児をサポートする制度が確立する前だったので、わからないながらに精一杯働いていましたね。

    仕事にも慣れてきた頃に、JICA隊員だった友人と再会して、旅行に行きたいねって話になって。事務長(現・理事長)に2〜3週間休めないだろうか? という相談をしたら、「どうぞ行ってらっしゃい」と。結果、友人のほうがそんなには休めずに10日間の旅になりましたが。

    わたしがJICAで赴任していたエクアドルに行ったんです。まあ、そこでいろいろあるんですが……(※現地の男性と結婚!?とまでなった話は、ぜひ直接聞いてみて)。その後も、3・11のボランティアとして現地に入りたいと行かせてもらったこともあるし(※そのまま結局岩手に2年いた話も、ぜひご本人から)、まあ好きなようにやらせてもらってます。

    この法人は特にだと思うんですけど、こういう勉強がしたい、研修に行きたいという相談はほぼ「行ってきたら?」という返事。すごく相談しやすいです。

    ここで働きたいと思った理由の一つは、前の理事長の第一印象。面接なので、緊張して入口で立っていたら、軽トラに乗ったおじさんが「こんにちはー」って現れて、理事長室に入ったらそのおじさんがいたんですよ。理事長って高級車にのって、秘書とかいるイメージだったし、法人で畑作業をしていることも知っていましたが、理事長も現場に出てるんだ!ってすごく共感したのを覚えています。素敵な方でした。

    休職や長期休暇を何度も取ってきたわたしですが、今は育休中です。3人目は女の子なんです。育休明けて戻ってきたら、次はどこの国に行こうかな?なんてね。

    編集・文 : 山本 梓
    写真 : 水本 光
    担当 : 三木柚香
    プロデュース・ディレクション : 中浜崇之(NPO法人Ubdobe)
    取材日 : 2020年10月11日〜10月12日

    ※取材対象者には一時的にマスクを外してもらい、撮影をしました。